明日はもうすこしマシにします

日記のブログです。ヤフーブログから引っ越したので過去記事には不具合があるかも(2019年10月)。見たり読んだりししたものや考えたりしたことを忘れないうちにメモっておこうというもの。ヤクルトファン。

最後のウナギ

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写真は奥飛騨のうなぎ屋「うな亭」。
以前も一度訪れてブログに書いた事がありました。

富山市内(中心部)から車で2時間くらい?
個人的なことを言えば、東京から安房峠を超えて富山に帰るとき
ちょうどこの店がある道を通って行くので寄れるのです。

ずっと高速を使っていくより100キロくらい短くなるので経済的なんですよね。安房峠ルート。
下道だから寄り道もできるし。
こうしてウナギを食べたりクマ牧場にも寄れるし
そうした途上の無駄遣いも、やはり旅の醍醐味です。

経済的…?


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青々と茂る笹竹を避けながら藍染めののれんをくぐると…


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心臓に悪い値段のおしながきが出迎えてくれます。
しかし、今回はこの心臓に悪い値段の店で、徹底的にウナギを味わってやろうという
覚悟を持って訪れました。

年に一度、いや、数年に一度の大盤振る舞いを見せつけてやろうと!

なぜそうまで肩に力を入れて鼻息を荒くしてウナギを食べに来たかというと
東京で持っている車がそろそろ車検が切れるので、この機会に(富山に帰るついでに)
売っぱらっちまおうと思っていたので、必然的に、このお店に来ることはもう余程のことがない限り
ないだろうと。

ひょっとすると一生もう来ないだろうと。
末期の酒ならぬ、「末期のウナギ」になるであろうと。

そのような事情があって、せっかくなので道の途中に立ち寄ることにしました。
最後のウナギとあっては、特上丼を頼まざるをえません。

と、特上!

振り返ってみても、我が人生のなかで、特上と名のつくモノを注文した記憶が
皆目ございません。
ほんとうに一度もないのです。

特級(酒)とか特急(寝台)とかなら何度か頼んだり乗ったりした記憶はあるのですが。
特上! 特に上!
そんなものをね… あっしみてえなもの下賤な者がね… へえ… 頼もうだなんてのは…
僭越ってもんでさあ… ねえ、旦那… あっしなんかは… へえ…
そこらの牛丼屋でよぉ… しこしこスタンプを貯めてよぉ… 茶碗を貰って喜ぶのが身の丈ってもんでさぁ…

だから何も江戸時代の人足人にまで成り下がることはないんだって。
普段から贅沢をしなれないと、たまの贅沢をするときにどうも卑屈になってしまうのが困りものですね。
いかんいかん。


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(これはやかん)

並が1000円で特上が2500円なら、
ふだんは「じゃあ丼は並にして、その1500円分でサブメニューやら他のものを頼もう」という考え方をしてしまいます。
だってそっちのほうがおなかいっぱいになるし色々食べれてうれしいもんね。

そういう貧乏性の発想が習い性になっているワタクシですが
しかし今日は末期のウナギ! 迷うことなく特上を頼んでやりましたよ!

※本当は、メニューに3000円の価格が付いている、空白になっている部分があるので
「この部分はなにかあるんですか?」と聞けば、特特上丼的な裏メニューが出てきたのかもしれませんが
そこはそれ、勇気がなかった。意気地なし! クララのバカ!

店に入ると、女将的な人が注文を聞いてくれるので
(しかしここは東京のウナギ屋ではなくて奥飛騨にひっそりと立つお店なので、
 女将というよりも、お店の「お母さん」といった方がしっくりくる感じではある)

「特上丼を…」

と、今にも消え入りそうな震え声で注文。すると、女将は聞き取れなかったのか
この身なり風体卑しからざるなき人物(運転のためのヨレヨレのTシャツと短パンの卑しい人物)が
よもや2500円する特上丼を注文するとは夢想だにしなかったのか

「えっ?」

聞き返されますね。
まずかっただろうか。
特上など頼んではいけなかっただろうか。
俺のような、ふだんは金がなくてピィピィ言っているものが特上ウナギ丼を食そうなどというのはダメだったろうか。
やはりあっしみてえな下賤な者はよぉ… ウナギなんて諦めてよぉ… 
白米にうなぎのタレだけ垂らしてよぉ… それを食ってりゃ…

「特上丼ください!」


江戸時代の人足人ごっこも飽きてきたので、ハキハキと注文しなおします。
さらに

「串焼きってありますか。肝焼きとか、カブトとか」

と、調子に乗ってメニューに載っていないものまで頼むという高等なオーダー。
「無いですよそんなもの」と言われたら赤っ恥だなあ、と半ばドキドキしながらの注文でしたが
まぁこの店に来るのも最後だろうと思っているので、恥でもなんでもよいのです。

「串焼きではないですが、肝焼きはキモが残っていればできますよ」、とのこと。

そうして頼んで出てきたのが…


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ホイこちら。
フタを開けると

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パカっとな。
左から、特上丼(2500円)、肝焼き(1000円)、肝吸い(200円)。
肝焼きは1050円だったかも。記憶があやふや。

計3700円! 4000円弱!

いつもは昼食を500円以内に収めることに汲々としているというのに!
8日分!
この一膳で!
しかし仕方がない!
最後だから!
今日が最後だから!
今日がこの店でウナギを食べるのは最後だし、おそらくこれが今年最後のウナギだから!
許してください!

そう自分に言い聞かせて食べました。
いったい誰に許しを請うのか。

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特上丼!
ウナギがツヤツヤしてて、う、うまそう…。
じっさいうまかった。
両腕に抱えて掻きこむようにして食べていると、食べながら、食べれば食べるほど減ってゆくのが
悲しくて、ああ、食べても食べても減らない鰻丼というのがあればいいのに…
などという考えてもせんないことを考えながら食べていたら、あっという間に食べきってしまった。
とてもうまかった。

うまかったけど、しかし、食べ続けているあいだ中ずっと胸の内で

(許してつかあさい! 許してつかあさい! 4000円! これで4000円! 許してつかあさい!)

と唱えながらかきこんでいたので
ウナギがうまければうまいほどに、その罪の苦味も比例して強くなるというものです。
うまくて苦いウナギだった。


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こちらは肝焼き。
手ブレした。
串焼きで1本あればよかったんだけど、皿できちゃった。

こちらは焦げのせいかキモの元々の味か、比喩でなく苦味が強くて
熱燗があれば酒のアテには最高この上ないという味わいでしたが
何しろ運転中…。


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こちらは肝吸い。
ほんのり甘くてやさしいあじわい。

こってりとしたうな丼の味付けや、濃い味の肝焼きの合間にひと口飲むと
ほわっとあたたかくてしみじみとおいしい。
小さなキモもふわふわと柔らかく、前歯でちぎって舌とアゴテンのあいだで潰すと
まったりとしたキモのうまさがじんわりとひろがって、ああ、滋味…。

火垂るの墓』で、主人公のセイタが「滋養なんてどこにあるんですか!」と医者に逆ギレするシーンがありますが
鰻の肝はまさにその滋養を直接的に感じられるあじわいでした。

堪能した!


ウナギを食べつくしました。
悔いなし。

しかし、前述のブログの記事を見ると、そのときは
中丼(2000円)と並丼(1000円)と肝吸い(200円)とウナギおむすび(300円)で
計3500円を食べていて、なんか今回の方がすごい贅沢をした気がしていたけど
値段的には前も同じくらい食べていました! 笑。

そして「食べても食べてもなくならないうな丼というのがあればいいのに」って
全く同じことを思って書いている! うーむ、進歩がない。