吉行淳之介編『酒中日記』感想
三連休なので富山に帰ります。
写真は北陸新幹線はくたか車内の様子。
日の高いうち…どころか、午前中からビールとお菓子を買って準備万端の構えです。
まぁいいよね、休みだし。
旅のおともの文庫本は、吉行淳之介編の『酒中日記』というエッセイ集。
『小説現代』の昭和41年1月号から連載され、計32人の「酒」にまつわる短編エッセイが、日記調で綴られています。
なんだかとてもいい取り合わせだなと思ったので撮影しました。
原稿を寄せているのは、編者の吉行淳之介を始め、開高健や北杜夫、水上勉に五木寛之、井上ひさし、半村良、星新一渡辺淳一色川武大筒井康隆…と、昭和の大小説家たち。
なんと豪華なメンツ。でも「大小説家」って表現はなんか変だな。まとめると「中説家」ということになりそうな。
全部原稿用紙4枚程度の話なので読みやすく気軽にペラペラと読めます。
エッセイの中では、作家たちの互いの名前がそれぞれ出てきて、作家同士の仲の良さというか、交流が垣間見えるところが興味深いです。
昭和40年代という「文壇」華やかなりし頃、当時の作家たちがどのような店でどのように飲んだり飲まれたりしていたのか覗き見えるようで、楽しい。
丸谷才一が開高健から聞いた話として、「北海道の牧場で見学させてもらったら、牧場主がたまたま自分作品のの愛読者で本棚に並んでいた自著にサインなどしてやると、『突然のご訪問で何も歓待できませんが…』と言って牛や馬の交尾の予定を一日早めて見せてもらった」というエピソードや、開高健が金沢の地酒を「あれでも甘すぎる」と評したことなど、作家の血の通ったエピソードが見られるのが楽しいですね。
(開高健という作家は、やたら自分をハードボイルドに見せようと自己演出しているきらいがあるなという思いは一層強くなりました。開高健作品はどれも好きなんですけど、そういうマッチョイズムは、ちょっと…)
同じく丸谷才一の編の中で、ドナルドキーンさんと飲んだときに「軍人の日記は百読んでも二百読んでも有用な情報は載っていなかった」という話も興味深い。
酒の話としては、赤い色が特徴的な「カンパリ」は、別の人の辺の中で「おなかの薬になるからお湯割り」、というのと、「養生のためカンパリソーダ」という記述があり、調べてみるとカンパリてのは禁酒法時代には薬として売られていたくらいにハーブ(生薬)を使っているそうで、たしかに色はきれいだけど飲んでうまいものでもないのは、そういう理由だったのかと得心すると同時に、お湯割りは少し飲んでみたいと思いました(自分が胃痛持ちなので…)。
言ってみれば、あれはヨーロッパの養命酒ということでしょうか。
全体的に細かなエッセイを集めたものなので感想も細切れになりますね。
全体を通しての感想としては、これはやっぱり作家の人相や人格がわかった上で読めば面白いけど、何しろ古いのでわからない。
古いと言っても明治大正というわけではないので、「へえ、昔の人はこんなに違ったんだなあ」という歴史トリビア的感慨も少ない。
昭和40年代というのは、現代というには今から遠く、歴史というには近すぎる、微妙な時期かもしれませんね。
山田詠美は語り口調の文で書いているんだけど、それが古臭すぎて読むのキツかったりね。
半世紀前の若いオネーチャンの日記を読むのは辛い。
こういう酒がテーマのエッセイ集、現代の小説家バージョンで作ってくれないかなあ。知らないだけでどこかにあるのかな。
そう、あとこの本を図書館で見かけて借りた理由は、「吉行淳之介はたしか、酒に溺れるダメ亭主と、割れ鍋に閉じ蓋的な妻の小説なんかが代表作であったはずだし、その人が酒をテーマにしたエッセイを集めるならきっとおもしろいんだろうなあ」と思ったからだったのですが、それは『夫婦善哉』の勘違いで、そしてその作者は吉行淳之介でなく織田作之助。
スケしかあってねえ!
時代もかなり違います。自分の脳のいい加減さに驚き呆れますね。
酒は入っていなかったのになあ。
でもまあ、おもしろかったから、いいや。